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真宗で味わう『日々是好日』

み仏さまの光明に護られて送る一日一日は浄土に向かっての旅です。二度とない今日という一日が尊く光輝いています。いろいろな問題や悩みもやってきますが,それも仏様に護られている上での出来事ですから心の底には安心感があります。一日一日を大切に生きながら折々に感じたことを書き留めていきたいと思います。


弥陀の名号(加茂仰順師)より13

  1. 2016/02/26(金) 22:41:20_
  2. 仏法
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遠いところから鐘の音が聞こえてくるように,如来のお助けも遠方から鳴り響いてくるように思いますから,今日は信心が来るかしら,明日は信心が来るかしらと思うようになるのです。こうしたあやまりにはまっていては,何年たってもお助けはわかりません。蓮如上人が「木像よりは絵像,絵像よりは名号」と仰せられたのはこのあやまりに陥らせないためのお心づかいであったのです。
 つまり木像や絵像になると,どうしても向こうに置いて見ます。また名号だと字に書けば向こうに置いて見ますが,口にかけたら十方流布行で,どこにでもゆきわたっていますから,向こうに置くのではない,私の耳のそばまで来ているのであります。床の置物のように向こうに置くものですから,取りにゆこうとしたり,とりこもうとしたりするのです。私の上に来ているということになると,取りにゆく必要もなく,引っ張り込む必要もなくなるわけです。それゆえに,如来のお助けは昨日は来てなかったが,今日は来ているとか,今朝はきてなかったが,いまは来たとかいうようなものではありません。十劫の暁天のその時から私の上に来ずめであります。その「来ておるぞよ」と聞かして下さる法話には,聞かす時と聞かさぬ時との区別がありますが,如来のはたらきにはその区別はありません。それで名号のいわれを聞けと仰せられるのです。
 名号は尽十方無碍光如来の名号であります。尽十方無碍光如来と申すのは,如来のみはたらきは十方世界に充ち満ちて,いかなる肉親の中にも,いかなる煩悩の中にも一杯になっているというのであります。これが名号のいわれであります。それでご法を聞くのは,始終来ずめであることを知らせて頂くのであります。このお知らせによって,いま来てくださるのではありません。また向こうから来て下さるのでも,また求めにゆかねばならないのでもありません。
 ただいまここに居ながら,手を伸ばすことも,足を出すこともいりません。このままでお助けのはたらきの中に置いてもろうているのであると,知らせて頂くのです。
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プロフィール

アグリ長八

Author:アグリ長八
私の家は先祖代々農業を営んできた。私もまた受け継いだ田畑を守り、地域の先輩や仲間と共に米作りに勤しんでいる。曽祖父の名前が長八だったからであろう、物心ついた時から「ちょうはっつぁん」と呼ばれていたのを覚えている。我が家の仏壇には手垢のついたお聖教(正信偈や御文章)がたくさんある。仏縁の深い家に生まれたことをありがたく思っている。ふとしたきっかけでお寺参りをするようになり、仏様のみ教えによってお育てを頂いている。お育てにあずかりながら日々心の中に湧き出てくる私なりの味わいを記していきたい。

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