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真宗で味わう『日々是好日』

み仏さまの光明に護られて送る一日一日は浄土に向かっての旅です。二度とない今日という一日が尊く光輝いています。いろいろな問題や悩みもやってきますが,それも仏様に護られている上での出来事ですから心の底には安心感があります。一日一日を大切に生きながら折々に感じたことを書き留めていきたいと思います。


汽笛の音

  1. 2014/03/22(土) 17:58:44_
  2. 仏法
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ある天気の良い日の昼下がり。庭に出るとちょうど電車の汽笛が聞こえる。何も変わり映えしないいつものことではある。家の前方にある踏切の手前100m位のところでいつも汽笛が鳴る。その音は「危ないよ」「踏切を渡らないで」の声と受け止めることができる。(実はその踏切の向こうは自分の畑で,通行人も私一人と言ってもいいくらいである。もちろん遮断機も設置されていない)汽笛の音にそれ以上の意味はない。だから踏切を渡らないだけのことである。
では今自分の口から出てくる「南無阿弥陀仏」はどうか。それはそのまま「助けるぞ」の声。「そのままだよ」「お浄土へ連れていくよ」の声。そう聞いたなら,そのあとで何を持ち替える必要があろうか。何を付け足す必要があろうか。何を自分であれこれ詮索する必要があろうか。ただ「ああ,ありがたいな。」それだけである。
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疑心あることなしとは

  1. 2014/03/13(木) 20:54:45_
  2. 仏法
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親鸞聖人は,<「聞」といふは、衆生、仏願の生起本末を聞きて疑心あることなし、これを聞といふなり。>(教行信証信巻)と言われている。この私を助けるという阿弥陀仏の仏心には,疑いが全くないので「疑蓋間雑あることなし」とも言われる。つまり,阿弥陀仏が私を救うことに疑いがないということである。阿弥陀仏ご自身からすれば,十方衆生を助ける力を完成したから「我をたのめ必ず救う」と絶えず呼びかけておられる。その名乗りが私の口を借りて出てくる「南無阿弥陀仏」である。私をご覧になっている阿弥陀仏の御心からすれば「そのまま助ける」以外に何もない。阿弥陀仏が私を救うことにこちらから疑いを差し挟む余地がないので,「南無阿弥陀仏に疑いがない」ということになる。

十方衆生とは私のこと

  1. 2014/03/09(日) 17:45:07_
  2. 仏法
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阿弥陀仏の第十八願は「設我得仏十方衆生」とあるように,十方衆生が相手の誓願である。この十方衆生とは一体誰のことであろうか。生きとし生けるすべてのものであろうが,実はこの私のことである。果てしない過去から今に至るまで三悪道,六道を輪廻してきた私のこと。生きとし生けるものすべてに自分が生まれてきたはずだから十方衆生とは私の代名詞であり,この私自身のことと受け止めることができる。

人間の声と阿弥陀様の声

  1. 2014/03/08(土) 12:32:36_
  2. 仏法
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ある日の午後のこと。自宅の庭を散歩していると,近くの中学校から生徒の声が聞こえてくる。どうやら体育祭に向けて応援合戦の練習をしているようだ。普段は聞こえることなどまったくないのに,風に乗って声が届く。約1km離れていても人間の声が届くのだ。同じ室内にいても隣にいても相手の声が小さいと聞こえない。なのに1km離れていても力の限り出している声とそれを載せて運ぶ風のおかげで家にいる私の耳にまで届くのだ。声ってすごいな。風ってすごいな。阿弥陀様のみ声は,たとえ西方十万億土の彼方からであっても,大悲の風に運ばれて,自分の口から今ここで聞くことができる。「南無阿弥陀仏」って不思議だな。

日々是好日というブログ名

  1. 2014/03/07(金) 23:22:59_
  2. 未分類
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「日々是好日」という言葉をネットで調べてみた。中国唐時代の雲門文偃(ぶんえん)禅師の語といわれている。
www.jyofukuji.com/10zengo/2005/12.htm
~雲門は自ら15日という期間を弟子たちに示しながら,実は今,即座の答えを求めていたのだ。無常迅速,時人を待たずである。親鸞聖人は「明日ありと思う心のあだ桜夜半に嵐の吹かぬものかわ」と歌われているように,「今ここで自分の境地が述べられなくて,一体いつ言うときがあるのか。はたして明日という時があるとは限らないではないか?この一瞬のところを大事にせよ」ということを教え示した言葉が「日々是好日」なのである。
平々凡々,何事のさわりの無い穏やかな日々だけが「日々是好日」ではない。多くの人は「今日も一日よい日でありますように」と願い,無事を願う。しかし現実はその願いの通りにはいかないで,雨の日,風の日があるように様々な問題が起き,悩ませられることばかりかもしれない。しかし,どんな雨風があろうとも,日々に起きる好悪の出来事があっても,この一日は二度とない一日であり,かけがえのない一時であり,一日である。この一日を全身全霊で生きることができれば,まさに日々是好日となるのである。好日は願って得られるものではなく,待ってかなえられるものではない。自らの生き方に日々に好日を見出しえなければならないのだ。時の時とするときは来ない。只坐して待つのでなく主体的に時を作り充実したよき一日一日として生きていくところにこの語の真意がある。

また,こんな言葉も見つけた。
「相対的な価値観を超越し,宇宙と一体となって悠々と生きることが人間としての真実の生き方であるという境地に達すれば,日々すべからく好い日である」

私の味わいを述べる。今日の一日は良い日悪い日と決めつけるものではないし,また決められるものでもないと思う。これからの人生においてもさまざまな苦難や困難がやってくるだろうし、そのたびごとに一喜一憂することもあるだろう。しかしそれらも仏様に抱かれ見護られている上での出来事である。仏様に護られている人生はすべて好日なのだと受け止めることができる。もちろん懈怠に流れる我が身を反省し,「日々是好日」と言えるにふさわしい生き方や努力をしていくのはとても大切なことだ。仏様からいただいた「日々是好日」の上に,少しでも自分の努力や創意工夫を重ねることで私なりの「日々是好日」を味わっていきたいと思う。


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プロフィール

アグリ長八

Author:アグリ長八
私の家は先祖代々農業を営んできた。私もまた受け継いだ田畑を守り、地域の先輩や仲間と共に米作りに勤しんでいる。曽祖父の名前が長八だったからであろう、物心ついた時から「ちょうはっつぁん」と呼ばれていたのを覚えている。我が家の仏壇には手垢のついたお聖教(正信偈や御文章)がたくさんある。仏縁の深い家に生まれたことをありがたく思っている。ふとしたきっかけでお寺参りをするようになり、仏様のみ教えによってお育てを頂いている。お育てにあずかりながら日々心の中に湧き出てくる私なりの味わいを記していきたい。

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