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真宗で味わう『日々是好日』

み仏さまの光明に護られて送る一日一日は浄土に向かっての旅です。二度とない今日という一日が尊く光輝いています。いろいろな問題や悩みもやってきますが,それも仏様に護られている上での出来事ですから心の底には安心感があります。一日一日を大切に生きながら折々に感じたことを書き留めていきたいと思います。


私が一番あなたを信じています。

  1. 2018/03/17(土) 20:31:00_
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 今日の夕方のニュースで,パラリンピック,ノルディックで金メダルを取った

新田選手の報道を見ていた。家族でつかんだ金メダルというタイトルで新田選手

の活躍と妻子の応援の様子が流れていた。その時の奥さんの言葉が心に響いた。

 「(あなたが)金メダルを取ると一番信じていたのはこの私です。」と言いきった。

主人に対するものすごい信頼と自信の表現だと思う。

 「(あなたが)必ず往生できると一番信じているのはこの弥陀です。」と阿弥陀様

は言い切っておられる。この私に対する絶大なる阿弥陀様の信頼と自信を感じさせる

奥さんの一言であった。

南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏。

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聴聞のありがたさ

  1. 2017/10/22(日) 21:09:09_
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今日はサバエのお寺で聴聞してきました。

空っぽの腹底に南無阿弥陀仏が響き渡りました。

悪の塊の腹底で南無阿弥陀仏が生きている感じが伝わってきました。

仏法聴聞を続けていくと,味わいが深まっていくものなのですね。

自分の本当の姿を知らされるところにお念仏の世界がある。

そのまま受け取らせていただきました。

その余韻を今も感じながら喜んでいます。

聴聞っていいですね。


弥陀の名号(加茂仰順師)より17

  1. 2016/05/27(金) 22:09:51_
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 水に全身を打ち負かしてさえおれば,水の力で独り浮きできる。それを,沈んではならぬ,浮かばねばならんと思い,手足をばたばたさせるから,かえって沈むのである。どうもせずに,水にまかしていると,ひとりでに水の力で浮くのだよ,水の上にしずかに横たわってみせてくれるのです。水に浮かぼうとあせると,かえって沈み,水にまかすところにひとりでに浮かびます。浮かぼうとあせるところに水に反対し,水の力を得ることができずに沈み,水にまかすところに,水の力全体が,わがものとなり,水の力全体がはたらいて浮かされるものです。
 これと同じことで,如来のお助けを求め,助からんとはからうところには,却ってお助けの全相が見失われ,お助けの外に出てしまいます。ただすなおにお助けのままに打ちまかせたものは,お助けの全相にお遇いさせられ,お助けの内に生活し得られるのです。蓮如上人は,「凡夫の身にて,後生助かることは,ただ易きとばかり思えり。難中之難とあれば,かたくおこし難き信なれども,仏智より易く成就したまうことなり。往生ほどの一大事,凡夫のはからうべきにあらずといえり」と仰せられてあります。これからいたしましても,往生ほどの一大事は,凡夫のはからうべきことでないことを,難中の難と示されたものです。
 往生ほどの一大事は,凡夫においては難中の難であるが,仏智によって得やすく成就されてありますから,あら心得やすの安心や,あら往きやすの浄土やであるのです。宗祖の信巻別序には,「しかるに常没の凡愚流転の郡生,無上妙果の成じ難きにはあらず,真実の信楽,まことに獲ること難し」と獲信の難いことを挙げ,その理由に「何を以てのゆえに,いまし如来加威力に由るが故なり,ひろく大悲広慧の力によって,獲る信を凡夫の計らいによって難しくしておることをいましめらるのです。

道と約束があれば

  1. 2016/03/22(火) 22:42:21_
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昨日見ていたテレビドラマ。「いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう」というタイトルの番組。 北海道まで彼女にトラックで会いに来た彼の言葉が印象的だった。彼女の「また会えるかな」の言葉に「道と約束があればきっと会える」 そうだよね。人が友達と会うとき,何時にどこそこでと約束をするよね。その約束を交わしているから「会える」わけだよね。弥陀の本願も私との約束。その約束の言葉を受け入れた者は,約束を交わしていることと同じ。テレビの彼は北海道までトラックで会いに行ったが,お浄土へは「二河百道」という道がある。ちゃんと道と約束があるではないか。「道と約束があれば会える」はやはり真実だね。テレビではもう一つ何か言っていたけど聞き漏らしてしまった。道と約束ともう一つ。何だろう。「時間」だったかな。それとも…。

弥陀の名号(加茂仰順師)より8

  1. 2015/08/30(日) 12:51:29_
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名号は常に動いています。死んで私たちを往生せしめるというだけではありません。私たちが人生生活を送る間にも,このように私たちをして称えさせて下さる。こうまでご親切に如来は私たちの生活の上に念仏をさせたもうものであります。こういう意味において,私たちは弥陀の救いの働きを,現にこの世において仰ぎみることになるのであります。それはわが幼い子に「お母さん」と言わしめる母心のようなものです。「お母さん」と言わしめねばおかぬという心は,母心を受けさせねばおかぬという母みずからの絶対の力であるのです。だから「お母さん」と言わせて下さる真実の働きが届くのです。そのように名号のいわれを聞かせて頂いたところには,称名がこぼれ出てくださるのです。
このような具合にして,私たち久遠のみなしごは,ここに永遠の母に会い,その御心のうちにとかしこまれたのであります。これを摂取不捨のご利益といいます。母を見つけた子は母の心がいつも子の心の中に流れ込むように,ひとたび仏の真実にうちあかされたならば,いつもかつもおあたえの名号をよろこび称えつつ,歩々光明の門に進ましめられて,このきたない体を捨てる時,まさしくみ仏の浄土へ生まれ,み仏のさとりを得,そして十方を摂化なされるみ仏のおはたらきを得させていただくのです。これを真実のさとり(証)のすがたというのであります。開けても暮れても私たちは苦しみの絶え間がありません。私たちはこの名号を称え,み仏の広大な恩徳を讃えまつるしあわせをよろこばせていただくのであります。(P96)

弥陀の名号(加茂仰順師)より7

  1. 2015/07/31(金) 21:48:19_
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 他の宗旨は,人より仏への願求ですが,真宗は仏より人への願求です。この相違は所信のものがらによって異なってくるのです。殊にその願は許されたときに,願のままに為し得るのです。だから,他の宗旨は,人の願を仏が許す時に定まります。その場合これは「行」に依ります。ところが真宗は,仏の願を聞き入れる時に定まります。ここに信順があります。しかも仏の願心は勅命に表現されておりますから,仏勅に信順するばかりで往生一定となるのです。
 それ故に真宗の宗教生活はただ報恩のみであります。他の宗旨の宗教生活は助けられるところの行蹟を積みますが,真宗は救いという面においては,一指も動かすことはありません。だから,真宗は求める生活ではなく,与えられたものを頂いてよろこぶ感謝のみです。依って真宗の安心は,歓喜賀慶の心であり,他の宗旨は希願請求の心です。だから満足はありません。ここに真宗の道徳があります。更に言えば,求めるための徳ではなくして,受け入れた満足から起こる報謝であります。善因善果は自然の因果律ですが,善果のために善因を積もうとするのは因果律への反逆です。まして,求めるもののために道徳を利用しようとするのは,恐ろしい反道徳であります。


親戚の通夜に参列して

  1. 2015/06/28(日) 13:47:02_
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昨日今日と親戚の義理の叔父さんの通夜葬儀にお参りしてきました。
お念仏,お正信偈,御文さんと続く中でのお焼香を終え,ふと見上げると
遺影の上には「南無阿弥陀仏」の御名号。お坊さんの口からは「南無阿弥陀仏」
のお念仏。このお念仏の節回しがまた独特の味わいがあっていいですね。
お正信偈はそのまま「南無阿弥陀仏」のおいわれとして聞かせて頂きました。
自分の口からも「南無阿弥陀仏」がこぼれます。
見て「南無阿弥陀仏」聞いて「南無阿弥陀仏」感じて「南無阿弥陀仏」自分の口から
「南無阿弥陀仏」…阿弥陀様の声をたくさん聞かせて頂きました。
いろいろと忙しい中でしたが,通夜や葬儀にお参りし,阿弥陀様のみ心にに触れさ
せて頂くありがたいご縁になりました。

弥陀の名号(加茂仰順師)より6

  1. 2015/05/16(土) 21:20:55_
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南無阿弥陀仏のおいわれを聞くということは,往生大悲の親様のおよび声を聞かせてもらうことであります。私をみ仏様がおよび下さる。このおよび声が聞こえたことを聞其名号信心歓喜と仰せになるのです。それは言うまでもなく唯耳に聞くばかりではありません。誰を喚ばれるやら,どこの人を喚ばれるやらと思う間は,聞こえたのではありません。この私を喚んで下さるのであるということが知られたのが,聞こえたというものであります。誰を喚んで下さるかと,うわのそらで聞いている間は聞こえたのではありません。私のことじゃと聞き得られたときが聞こえたのであります。
本当に違いないが,どうも私のものではないと言う。しかしながら,ここをよく聞いてみると,お浄土は私のものであった。また弥陀のおさとりはまったく私のものであった。私だけは参られぬ。私だけは往かれぬと思うていたが,よく聞いてみるとお浄土のすべてがみな私のものとわからせてもらえるのです。阿弥陀如来はよその仏ではない。わが親である。十劫正覚の暁より待っていられたのは,他の者を待っておられたのではなく,この私を待っていて下されたのである。このみ仏のお喚び声がほんとうに聞こえたのが信心であります。南無阿弥陀仏のお喚声が我がことにもらえたときに,往生は願力のおかげで参らせてもらうということになるのです。(P91~92)

★この私を弥陀が直に名指しで喚んで下さる。何とありがたいことでしょうか。そのことを思い知らせていただくたびに喜びが込み上げてきますよね。南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏。明日も頑張りましょう。

弥陀の名号(加茂仰順師)より5

  1. 2015/04/19(日) 15:23:03_
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 善導大師は「礼讃」の上で,「光明名号を以て十方を摂化し給う。ただ信心をして求念せしむ」とさとされて,私たちの胸に信心を起こさせ,往生を求願する心のありだけが,みな南無阿弥陀仏のおひとりばたらきでるとのおさとしであります。
 松島善譲和上は,「障子のばたばた,波のざわざわ,みなこれ風の音である。衆生の信心も,称名もみなこれ名号のあらわれたすがたであって,南無阿弥陀仏の妙行が,私たちの胸の中に入っては信心となり,口にあらわれては称名となる。
 第二十願の念仏も,第十八願の念佛も,ともに波阿弥陀仏と称えるのであるが,第二十願の念佛は衆生の念佛,第十八願の念佛は念仏の衆生である。衆生の念佛は口が念仏を使うが,念仏の衆生は口が念仏に使われるのである。自力の念佛ははげみの念佛,他力の念佛はいさみの念佛,ああおもしろやといさみ称えるは他力大行の念佛である」と申されていたということです。
 
 ★「障子のばたばた,波のざわざわ,みなこれ風の音」は分かりやすい譬えですね。信心や念仏だけではなく,生活している中 でのあらゆる出来事が「名号のあらわれ」「仏様のおはからい」と感じさせられますよね。

弥陀の名号(加茂仰順師)より4

  1. 2015/03/30(月) 22:13:28_
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 弥陀の願心は「堕ちる者をそのまま助ける」ということでありますのに,なぜ「たのむ者を助ける」と仰せられるのかということです。ここは大切なところです。「われをたのめ」との仰せは,「堕ちる者をそのまま助けるぞ」との願心であります。弥陀は十劫の暁天のそのときから,この私につきまとうて,今日こそは,今日こそはとその救いの御手を差しのべ続けて下されてあったのです。しかるに私たちはそれをはねつけはねつけて,逃げ回っていたのです。ここに止むに止まれない親の慈愛の南無の二字は「われをたのめ」の喚び声となってあらわれたのです。これを聞き損なって,たのめば助かるが,たのまねば助からないとかけひきのように領解してはなりません。「そなたの力をふりしぼって来いではない。どうしたらよかろうかと思案して来いでもない。これなら大丈夫とわが胸の出来具合を当てにしてでもない。止まらぬ煩悩を止めて来いでもない。そなたの往生の一大事は弥陀が引き受けたぞ。この弥陀がよきようにする。われにまかせよ。われに助けさせてくれよ」との弥陀願心のあらわれが,「われにまかせよ。われをたのめよ」の呼び声となって出てきたのです。しかもこの喚び声の中には,一生涯称えさせていただくすがたまでも入っているのです。ともかくも,「われをたのめ」の喚び声と,「称える者を助ける」の喚び声は,別々のものではなく,不二のものでありました。(P69~70)


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プロフィール

アグリ長八

Author:アグリ長八
私の家は先祖代々農業を営んできた。私もまた受け継いだ田畑を守り、地域の先輩や仲間と共に米作りに勤しんでいる。曽祖父の名前が長八だったからであろう、物心ついた時から「ちょうはっつぁん」と呼ばれていたのを覚えている。我が家の仏壇には手垢のついたお聖教(正信偈や御文章)がたくさんある。仏縁の深い家に生まれたことをありがたく思っている。ふとしたきっかけでお寺参りをするようになり、仏様のみ教えによってお育てを頂いている。お育てにあずかりながら日々心の中に湧き出てくる私なりの味わいを記していきたい。

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